Subject   : 工業化時代の冶金

カテゴリー  : 産業・技術 > 


 工業化時代の冶金
 19世紀なかばに新原理に基づく二つの新製鋼法が登場し、鋼の量産が可能となった。〔1〕溶融銑鉄に空気を吹き込み、銑鉄中の炭素を燃焼・脱炭して溶融鋼を得るベッセマー法(1856)、〔2〕蓄熱室を備えた平炉により、溶融銑鉄と鉄鉱石を反応させて溶融鋼を得るシーメンス‐マルタン法(1860)である。これらの新製鋼法で量産される鋼材は、鉄道、船舶、橋梁(きょうりょう)、高層建築に使用され、ヨーロッパ、アメリカに重工業化時代を到来させた。1900年の世界鋼生産量は2500万トンとなった。  製鋼原料銑の需要増加にこたえて、ドイツ、アメリカで高炉技術が発達し(前床廃止・1867、炉床拡大・1880)、1897年のデュケーヌ高炉(アメリカ)は日産700トンに達した。鋼材の需要増大は鋼材加工技術の進歩を促し、圧延機では三段式圧延機(1856)、可逆式圧延機(1886)が現れ、薄鋼板製造用の連続圧延機がアメリカで稼動した(1869)。都市ガス管用として鍛接鉄管製造法(1824)や、自転車産業からの需要にこたえて継目無し鋼管を製造するマンネスマン製管機(1885)が発明された。るつぼ鋳鋼法で各種金属を配合することにより優良鋼を得る試みはファラデーに始まり(1819)、引き続いて自硬性工具鋼(マシェット・1828)をはじめ、耐摩耗性高マンガン鋼(ハットフィールド・1882)が発明された。銅製錬法もベッセマー製鋼法と同様に、溶融硫化銅・鉄(かわ)に空気を吹き込んで金属銅を得る転炉法が採用された(1880)。19世紀に入って急速に発展した電気学は冶金技術にも変革をもたらした。発電機が実用段階に入ると、ただちに、銅の電解精製(1869)、ニッケルの電解採取(1893)が工業化され、フッ化アルミニウムの溶融塩浴に酸化アルミニウムを溶解し、電解することによってアルミニウムを量産する方法が発明された(エルー、ホール・1886)。19世紀末には冶金炉への電力利用も実用化し始めた(エルー炉・1899)。  この時期に反射型顕微鏡による金属組織の観察が始まり(ソルベー・1863)、高温度測定法(ル・シャトリエの熱電対・1891)および熱力学の進歩(ギブスの相律・1873)と相まって、金属組織学の基礎がつくられ、鋼をはじめ各種合金の状態図作成や鋼の焼入れ硬化の本質の検討が進められた。

 ■ 20世紀の冶金
 20世紀の冶金技術の特徴は、他の生産技術とも共通して、生産工程の機械化、自動化、科学的管理が進んだことである。  鉄鋼製錬技術は、高炉技術において20世紀前半にアメリカで高炉作業の機械化、鉄鉱石の焼結・整粒、20世紀中期に旧ソ連で高圧送風、気化冷却、1960年代から日本で熱風温度上昇、重油吹込み、装入物分配制御、などの技術改良が加えられ、1970年代の高炉は日産1万トンに達した。製鋼法は、20世紀前半に重油燃料の採用などで平炉が能率を高めたが、1949年にドイツ・オーストリア共同で発明された酸素上吹き転炉法が日本で改良を加えられ、20世紀後半には平炉にとってかわった。電気製鋼炉は超高電力操業法(1964)で生産性が高まり、高級鋼、特殊鋼の生産に使用されている。溶鋼を真空脱ガス、真空脱炭する諸装置が、1960年代から低水素高級鋼、ステンレス鋼の生産に実用されている(真空冶金)。  鉄鋼加工の分野では、20世紀中期から、連続鋳造法が発展している。鋼板圧延機は、1920年代からアメリカで広幅熱間および冷間連続圧延機(ストリップ・ミル)が自動車用などの薄鋼板を量産し始めた。20世紀中期からの進歩は著しく、1970年代には圧延速度が秒速25メートルにも達した。製管技術は、1920年代から石油採掘・輸送用鋼管の需要増大にこたえて、新型の継目無し鋼管圧延機が発達し、20世紀後半には電気溶接法を利用した各種の溶接鋼管製造法が発達した。

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