Subject   : 市民権法(アテネ)

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 市民権法(アテネ) 
 「ペリクレスの市民権法」と言われ、アテネの民主制全盛期の前451年に、ペリクレスによって民会に提案され、可決された。アテネ市民は、両親ともアテネ人である嫡出の男子のみに限定するというもの。これ以前は父親はアテネ市民でなければならなかったが、母親は外国人でもよかったのをあらため、市民権をより閉鎖的にした。メトイコイ(在留外人)は自由民ではあるが、市民権はなく、民会への参加などの参政権は認められなかった。

● 18歳以上の男子のみが市民権を持つ。
 古代アテネにおける市民権は成年男子市民、つまり18歳以上の男子にのみ付与された。前451年には、ペリクレスの市民権法によって、両親ともアテネ人であること(母親の父がアテネ市民であること)が加えられた。古典期ギリシアにおける女性は、総じて政治的権利は認められず、社会的にも不遇だったといえる。

● 公職の抽選制
 アテネのポリス民主政では、前478年には、アルコン(執政官)も抽選で選出されるようになった。将軍職(ストラテーゴス)のみは、民会で選挙によって選ばれ(10名)、再任が認められた。アルコン以下の公職者もクジの抽選され、民衆裁判所の陪審員などにも適用された。抽選制、複数制、任期1年という原則は、役人にしろ、裁判にしろ、それを職業とするプロフェッショナルが登場するこを不正と腐敗の原因であると考えたギリシア人が、あえてアマチュアによる政治と裁判にこだわり、市民の参加と責任で自らを統治していくという民主政を維持にとって必要なことであった。しかし、抽選で選ばれるアルコンは次第に実権を失い、代わって将軍の比重が重くなって行き、ペリスレスのように将軍の地位を数年にわたって継続を認められた人物が政治を指導するようになる。

 ⇒ アテネ

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