Subject   : ムハンマド

カテゴリー  : 人文 >  


 ムハンマド
 7世紀の初め、ササン朝ペルシアとビザンツ帝国がシリア・アルメニア方面で攻防を繰り返していた。そのため、絹の道は途絶え、紅海貿易も衰えた。東西の交易は、アラビア半島西部経由で行われ、メッカの商人達は中継貿易で莫大な利益を上げていた。また、メッカには遊牧民の信仰の対象であるカーバ神殿もあり、多くの人が集まった。

 ムハンマドは、メッカを支配していたクライシュ族の子として生まれる。6歳で孤児となった彼は、成人すると隊商貿易に従事、25歳頃に裕福な未亡人ハディーシャと結婚した。2人の男の子と4人の女の子に恵まれ、落ち着いた生活をしていた。ただ、瞑想的な性格で近郊の洞窟にこもることが多かった。

 ある日、メッカ近郊ヒラー山の洞穴で瞑想にふけっていると、天使ジブリール(ガブリエル)がアラーの啓示を伝える。これが最初の啓示で、その後何度も啓示が下り自分が預言者であることを自覚する。

 ムハンマドは、近くの者に啓示の教えを説き始めた。最初に、妻のハーディシャが信者となり、従兄弟のアリーや友人のアブー・バクルなどが続いた。これがイスラム教の原点である。

 最初の啓示から4年が過ぎたが、ムハンマドの信者はまだ30人程度だった。多神教を信じる商人や貴族からの反感が強く、妻や後ろ盾の叔父も亡くし次第に孤立感を深めていった。

 そこで新しい活動の場を求めて、メッカの北ヤズリブ(メディナ)に移住した。これは、ヒジュラ(聖遷)と呼ばれ、移住した622年がイスラム暦の元年となった。

 メディナに移ったムハンマドは、イスラム独自の儀礼を確立した。そして信仰共同体の結束を固めて武装し、メッカとの武力闘争を開始した。まず、メッカとシリアとの交易路を遮断し、メッカの隊商隊を襲った。何度もメッカ軍と交戦し徐々に勢力を拡大していった。

 627年、ハンダクの戦いで1万のメッカ軍を破り、630年にメッカに無血入場する。ムハンマドは白いラクダに乗ってカーバ神殿を7周し、そこに立ち並んでいた360の偶像を全て破壊した。カーバ神殿はアラーの神殿となった。

 ムハンマドは、メッカ征服の前後からアラビア各地の遊牧部族を信者にし、631年にはアラビア半島全土を統一した。632年、4万の信者とともにメッカに巡礼し、メディナに戻った。数ヵ月後の6月8日、この世を去った。

 ムハンマドはメッカのカーバ神殿から天子ジブリール(ガブリエル)に連れられてエルサレム神殿まで旅をし、神殿の岩から天馬に乗って昇天したといわれている。ムハンマドが昇天した場所にはウマイヤ朝の時代に岩のドームが築かれた。  ムハンマドは、後継者を指名しなかった。彼の死の翌日、長老格のアブー・バクルが初代カリフに選出され、正統カリフ時代に入る。


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