Subject   :アマルナ革命

カテゴリー  : 歴史  


 アマルナ革命 
 紀元前14世紀のエジプト新王国でアメンホテプ4世(イクナートン)によって実施された、一種の宗教改革、およびそれに伴う新しい美術(アマルナ美術)の出現をアマルナ革命という。アマルナとは、彼が新都としたテル=エル=アマルナによる。 アメンホテプ4世は、従来のアメン神を中心とした多神教に依拠して大きな勢力となっていたテーベの神官たちを抑え、国王としての統一的支配を実現しようと考え、アメン神に替わる唯一神で普遍的な愛の神であるアトン神(アテン神)を創出し、その信仰を国民に強制した。自らイクナートンと改名し、都もテーベからテル=エル=アマルナに移した。これは、部族的な多神教信仰を否定して、統一国家にふさわしい唯一神信仰を国王が主宰するというもので、宗教改革であると共に政治的、社会的な改革であった。

 エジプト新王国第18王朝の王(在位1364〜47年ころ)。エジプト新王国が強大となり、西アジアをも支配するようになると、王権のあり方も変化してきた。新王国は、はじめテーベの守護神アメン(アモン)神と太陽神ラーが合体し、アメン=ラー信仰を中心とする多神教が行われていたが、第18王朝のアメンホテプ(アメンヘテプとも表記。「アメン神は満足し給う」の意味)4世は自らの神格化と一神教への移行をはかり、アメン=ラー信仰を否定して、唯一の絶対神としてアトン(アテン)神信仰を国民に強要した。自らも王名をイクナートンと改名し、都をテル=エル=アマルナ(「アケト・アテン」と命名された)に移した。

● アマルナ美術
 アトン信仰は自然神でありながら、愛によって人々を救済するという、普遍的な宗教であり、エジプトと西アジアという異なる民族と文明を内包する地域を支配する専制君主に適した新しい宗教として創り出された。イクナートンはその信仰に基づき、独自の美術表現を推奨し、それはアマルナ美術と言われた。この一連の宗教改革は「アマルナ革命」と言われる。しかし、伝統的なテーベを拠点とするアメン神をまつる神官団や官僚たちの反発を受け、次の王ツタンカーメン王の時には都はメンフィスに移され、「アマルナ革命」は否定された。第19王朝のラメセス1世はアメンホテプ4世を「異端の王」として断罪し、アマルナを徹底的に破壊し、その王名も抹殺した。

● アマルナ革命
前14世紀、エジプト新王国のアメンホテプ4世時代に現れた、革新的で自由な表現をもつ美術。 王妃ネフェルティティ(ネフェルト=イティ)の像、息子ツタンカーメン王の王墓から発見された黄金のマスクなどがその代表作。特に図の王妃ネフェルティティ像はアマルナ美術の生き生きとした写実性がよく表れている。

  ⇒ 人類の進化
  ⇒ 世界史年表

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