Subject   : シュメール

カテゴリー  : 歴史  


シュメール
 前3000年頃、メソポタミアで都市文明を最初に生み出した。

シュメール初期王朝は、前3000年紀のシュメール初期王朝(前2900〜2335年頃)時代には、ウルク、ラガシュ、ウル、ニップルなど20ほどの都市国家が形成された。シュメール人は青銅器や楔形文字を用い、多神教信仰、ギルガメッシュ叙事詩などの文化を産みだした。

 民族系統は不明だが、メソポタミア地方南部(ティグリス・ユーフラテス川下流)で都市を形成し、メソポタミア文明の基礎を築いた民族。紀元前4000紀(前3000年代)の終わり頃、メソポタミア地方南部の平野部で、麦類やナツメヤシの栽培、牛や羊、山羊、豚などの飼育を行い、キシュ、ウル、ウルク、ラガシュなどの最初の都市国家を生み出した。その民族系統は不明で、前4000年紀前半にメソポタミア南部に移動してきたと考えられている

● シュメール人の都市文明
  彼らの残した都市遺跡として最大のものがウルクである。ウルクは城壁に囲まれ、公共建築物をもち、約230ヘクタールの居住地をもっていた。ウルクに次いで繁栄したウルの遺跡からは王墓が発見され、またシュメール人の風貌とその社会を伝える「ウルの軍旗」といわれる遺物も出土している。またウルなどの都市には、巨大な神殿であるジッグラト(聖塔)が建造されている。

楔形文字と青銅器の使用をはじめており、最古の「文明」段階とされる。

● ラガシュ
 シュメール人の都市国家遺跡の一つ。

 シュメール人の都市国家遺跡の一つ。1877年、フランス人によって発掘され、シュメール語で書かれた王の碑文や行政経済文書が多数発見され、それまでその存在が疑問視されていたシュメール人の存在が明らかになった。ニンギルス神という都市神をまつる神殿を中心に、複数の地区からなる都市国家であり、前2500年頃に始まる王の系統表が残されている。ラガシュは周辺の都市国家との抗争を繰り返しながら、一旦滅亡し、アッカド王朝の衰退後、一時有力となり、前22世紀頃のクデア王の頃繁栄した。グデア王の石像は多数発見されており、フランス隊によって発掘されたので、ルーブル美術館に所蔵されている。

  ⇒ 人類の進化
  ⇒ 世界史年表

[メニューへ戻る]  [カテゴリー一覧へ戻る]  [HOMEへ戻る]