Subject   : エカテリーナ2世 

カテゴリー  : 歴史  > 


 エカテリーナ2世
エカチェリーナ2世(エカチェリーナ2世アレクセーエヴナ、ロシア語: Екатерина II Алексеевна, ラテン文字転写: Yekaterina II Alekseyevna、1729年4月21日(グレゴリオ暦5月2日) - 1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日))は、ロマノフ朝第8代ロシア女帝(在位:1762年6月28日(グレゴリオ暦7月9日) - 1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日))。夫はピョートル3世、子にパーヴェル1世。

プロイセンのフリードリヒ2世(大王)やオーストリアのヨーゼフ2世と共に啓蒙専制君主の代表とされる。ロシア帝国の領土をポーランドやウクライナに拡大し、大帝(ヴェリーカヤ)と称される。

日本では従来「エカテリーナ」の表記が多かったが、原音により忠実な「エカチェリーナ」の表記が普及してきた。また、ドイツ語や英語由来の「カタリーナ」(Katharina II.)、「カザリン」、「キャサリン」などの表記も散見する。

ドイツの小貴族の娘で,1745年,のちのロシア皇帝ピョートル3世(在位1762)と結婚。クーデターで夫の皇帝を追放し,かわって位についた。啓蒙君主とよばれ,新しい法典を編さんさせたが,農奴に対する貴族の特権を強化し,トルコとたたかって黒海北岸の地をとり,ポーランド分割で領土を広げた。



<出典: 日本大百科全書(小学館) >
 ⇒ 世界史年表

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