Subject   : マゼラン世界一周 

カテゴリー  : 歴史  > 


 マゼラン世界一周
マゼランは世界一周航海の途上、太平洋を横断して、1521年3月17日フィリッピンのレイテ湾内のサマール島南のオモンオン島に上陸しましたが、フィリピンのマグダン島の戦いで戦死しました。生き残りの一行はエルカノ船長に率いられて、ただ一隻残った”ヴィクトリア号”でスペインへ帰港できました。

1519年9月20日5隻の船隊(帆船ヴィクトリア号他)と237人の乗組員を率いてサンルカル・デ・バラメダ港を出帆しました。1520年9月20日マゼラン海峡を発見、ヴィクトリア号他2隻が通過し、南太平洋の横断という偉業を成し遂げました。

なお、マゼランの5隻の船隊は、サンティァゴ号(75t、32人) マゼラン海峡で難破、サン・アントニオ号(120t、60人) マゼラン海峡で逃亡し帰国、トリニダート号(110t、55人) 香料諸島で香料を積み過ぎて沈没、コンセプシオン号(90t、45人) セブ島で乗員不足で焼き捨て、ヴィクトリア号(90t、43人) 世界1周航海を達成という経過を辿りました。

太平洋に入ってからは不毛の無人島等は発見したものの補給が出来ず極度の飢餓と壊血病に苦しめられました。99日目に小島を発見し食料を補給することが出来ましたが住民の盗癖にあい上陸して焼き討ちをかけて住民7人を殺害し、ラドロネス(泥棒)諸島と名付けました。グアム島だと言われています。この航海の間は嵐に遭わなかったために、この海を太平洋(マール・パチフィコ、平和の海)と名づけたという説も有ります。その7日後の1521年3月17日フィリッピンのレイテ湾内のサマール島南のオモンオン島に上陸しました。

その後一行はセブ島に向かい住民の服従策に失敗し、1521年4月27日マゼランはマクタン島でラプ・ラプ と浅瀬の白兵戦で交戦中に41才で戦死しました。マゼランは東回りでマライまで来ていたので世界周航は目前だったのです。エルカノと残りの一行はそのまま、目的地のマルク(香料)諸島に向かい、そこで香料を積荷したのち、スペインに直行、1522年9月6日生存者18名が出発したサンルカル・デ・パメタ港に帰着しました。この世界一周航海によって地球が丸い事や日付に一日のずれがある事が実証されました。



<出典: 日本大百科全書(小学館) >
 ⇒ 世界史年表

[メニューへ戻る]  [HOMEへ戻る]  [前のページに戻る] ]