Subject   : 第一回十字軍

カテゴリー  : 歴史  > 


 第一回十字軍
十字軍とは、ヨーロッパのキリスト教国が、聖地エルサレムをイスラム教国から奪還するために派遣した遠征軍である。1096年から200年にわたって聖地エルサレムをめぐる戦いが繰り広げられた。キリスト教国側から見れば義軍(異教徒に対する正義の戦い)だったが、イスラム諸国や東方正教会諸国から見れば残忍な侵略軍だった。

 発端はセルジューク朝の侵略に苦しんだビザンツ帝国(東ローマ帝国)が、ローマ教皇に救援を求めたことによる。教皇ウルバヌス2世はクレルモン教会会議を開き、軍事行動を呼びかけた。「神がそれを望んでおられる」 これに応じた騎士たちは、エルサレムを占領し多くの市民を殺害した。そして、シリアからパレスチナにかけてエルサレム王国などの十字軍国家を建設した。

 ビザンツ皇帝アレクシオス1世 の救援要請を受けたローマ教皇ウルバヌス2世(Urbanus)は、フランス中南部のクレルモン・フェラン(Clermont Ferrand)で教会会議を開き、聖地奪回を呼びかけた。また、聖地におもむく者にはこの世の罪が許されると宣言し、十字軍が編成された。

 第1回十字軍はフランスの騎士を中心にコンスタンティノープルに集結し、ビザンツ皇帝に臣従の礼をとった。そしてビザンツ軍と共に2万の大軍でボスポラス海峡を渡り、ルーム・セルジューク朝の首都ニカイア(トルコのイズミク Izumik)を攻め落とした。更にトルコ軍との戦闘を繰り返しながら北シリアのアンティオキア(トルコのアンタキヤ)に到達し、半年に及ぶ攻城戦の末にこれを落とした。この攻城戦に活躍したのが、シチリアから参加したボエモン(Bohemund:ロベルト・ギスカルドの長男)である。彼は、アンティオキアに留まり、アンティオキア公国の君主となった。

 北フランスから参加したボードゥアン(Baudouin)は本隊から離れてアルメニア人の町エデッサに入った。エデッサはキリスト教徒の町で、トルコ人の掠奪に苦しんでいた。ボードゥアンは敵から町を守り民衆の信頼を得た。そして、町の支配を任されエデッサ伯国を建国した。彼は後にエルサレム王国の国王となる。 。



<出典: 日本大百科全書(小学館) >
 ⇒ 世界史年表

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