Subject   : アウグストゥス

カテゴリー  : 歴史  


 アウグストゥス(前63−後14)
 ガイウス・オクタウィウスは前63年9月23日ローマで生まれました。 母親がカエサルの妹ユリアの娘であったことが彼の幸運の始まりだったといえるでしょう。 18歳ですでに司令官なっていたオクタウィウスは、カエサル暗殺後、プルトゥス等反カエサル派をフィリッピの戦いで破滅させローマ領土西側の統治者となります。そしてガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスと改名した彼は、元同盟者でありオクタウィアヌスの姉オクタウィアの夫アントニウスとローマの覇権を争うことになります。
ローマ領土の東を支配下に置いていたアントニウスはエジプトへ渡りクレオパトラと結婚し、エジプトと同盟を結びます。かくしてアクティウムの海戦と呼ばれる決戦が行われる事となりました。 このアクティウムの海戦はアントニウス、クレオパトラ同盟軍対オクタウィアヌスの戦いでした。オクタウィアヌスの軍船は250隻。対するアントニウスとクレオパトラの軍船は500隻で、数字上はアントニウスとクレオパトラ軍の優勢で始まりました。
しかし戦いが始まって間もなく、オクタウィアヌスの軍に海上と沿岸から挟み撃ちにされ窮地に陥ったアントニウスを見たクレオパトラが自らの船を反転させ、戦場から離れてしまいました。クレオパトラが逃げ出さずに参戦していたら結果はどうなったか意見が分かれるところですが、この戦いにアントニウスは敗北し自殺、エジプトはローマの属州となり、オクタウィアヌスは最高実力者になりました。
こうしてオクタウィアヌスはアウグストゥス(尊厳なるもの)の称号を得て皇帝になったのです。

アウグストゥスは非常に沈着冷静、用意周到な性格で、当初、自らを絶対権力者ではなく、共和政を復活させた「プリンケプス・市民の第一人者」 であるといわれるのを好みました。これはアウグストゥスの人身掌握の上手さであるといえるでしょう。
政治と軍事が一人の絶対的な支配者に掌握されているのが帝国ならばローマはアウグストゥス以前から実質では帝国であったといえます。志半ばで倒れたカエサルは実質上皇帝のような存在でしたが、アウグストゥスは初代皇帝としての権威をさらに磐石のものにしていきます。
皇帝となったアウグストゥスは地中海を中心に、西は現スペイン、東はシリア、南はナイル川流域からチュニジア、北は北海までその版図を広げました。領土を広げるにあたり、彼はローマ式の高い生活水準を支配地に与えると共に、現地の生活習慣や信仰などを尊重する方法で皇帝崇拝を違和感なく浸透させていくことにほぼ成功しました。 「古代ローマ」 皇帝アウグストゥスのコイン

アウグストゥスを語る時に欠かせないのが彼の無二の親友で片腕的存在だったアグリッパ(前63−前12)です。若い頃から病気がちで体が弱く、軍事的才能には少々欠けるアウグストゥスを支えたアグリッパは、アクティウムの海戦で指揮を取り戦いを勝利へ導いた他、アウグストゥスが領土視察で不在の時は彼に代わり首都ローマを取り仕切っていました。

アウグストゥスは「私はローマをレンガの街から大理石の街にした」 と語っています。彼は権威を示す為の巨大な神殿等を造りましたが、アグリッパも水道橋など多く建築を手掛けています。 しかし沢山の建物を作ったアウグストゥス本人の住居は極めて質素で、宮殿というようなものではありませんでした。
後継者に恵まれず、しかも病気がちだったアウグストゥスは、未亡人になっていた一人娘のユリアとアグリッパを結婚させ、その子供達が成人するまでの間、頑健なアグリッパに自分が亡くなった後のローマを託そうと、中継ぎの帝位継承権を与えた事もありました。 しかしアグリッパはアウグストゥスに先立ち亡くなってしまい(前12年)、再度未亡人になったユリアはアグリッパとの間に生まれた子供達を連れ、強制的にティベリウスと再婚させられたのです。(ティベリウスはアウグストゥスの妻リウィア・ドルシラの連れ子です)

彼は強大な軍隊を整備しながら、その武力を行使するよりも頭脳で帝国を治めるように努め、それに成功しました。 アウグストゥスが善人であったかどうかはわかりません。しかし自らに科せられた責務をやり遂げた有能な人物で、当時のローマにとって理想的指導者であったことは間違いないのではないでしょうか。
スエトニウスの「ローマ皇帝伝」 によれば、アウグストゥスは背は低いが均整の取れた体格の、稀に見る美男子であったそうです。
ローマ帝国の基盤作りに成功したアウグストゥスは、14年8月体調を崩し、ナポリ近郊のノラで亡くなりました。最期の言葉は「私は役を演じきった。私を喝采で送ってくれ」 だったそうです。。 アウグストゥスはオクタウィウスの個人名ですが、その後の皇帝たちの称号としてインペラトル、カエサルの称号とともに受け継がれていきます。
 ⇒ 世界史年表
 ⇒ ローマの歴史

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