Subject   : 古代ギリシアとポリス

カテゴリー  : 歴史  


 古代ギリシアとポリス
 地中海沿岸は、小アジアからイベリアア半島まで、共通の自然条件を持っている。土地は石灰岩質でやせ、雨は少なく、オリーヴやブドウの栽培や羊の牧畜に適している。人々は海岸に沿って都市を作り、地中海は都市を結ぶ交通路だった。各地の特産品が取引され、文化が相互に伝播した。特にギリシア人とイタリア人がヨーロッパ古代文明に大きな役割を果たした。

 BC2000年頃からギリシア人がバルカン半島を南下し、ミケーネ文明を築く。第2次移動はBC1200年頃で、ドーリア人が鉄器をもって南下、ミケーネ文明を破壊した。先住のギリシア人はエーゲ海の島や小アジアに移住した。ギリシアは鉄器時代に入る。

● ポリス
 ドーリア人の侵入による混乱は、BC800年頃におさまり、各地に分立したギリシア人は1000〜1500の都市国家ポリスを作った。ポリスはそれぞれが独立国家で、戦争が絶えず、一つの国にまとまることはなかった。

 しかし、ギリシア人は共通の言語や宗教、デルファイのアポロン神殿の神託、オリンピアの祭典により、一つの民族としての同胞意識を失わなかった。自分たちをヘレネス、異民族をバルバロイ(汚い言葉を話す人:野蛮人バーバリアン(barbarian)の語源。)と呼んで区別した。

 ポリスには当初は王がいたが、オリエントのような専制君主ではなく、実際の政治は貴族が行っていた。身分制度は、貴族、平民、、奴隷の3種類があった。 

 ポリスの真ん中に小高い丘アクロポリスがあり、神殿が建っている。ふもとにはアゴラと呼ばれる広場があり、ここが政治、経済の中心である。市民達はここに集り、商業や政治、裁判が行われた。その周りに市民の住宅があり、その外に城壁が築かれていた。ポリスは日本の県くらいの大きさで、代表的なポリスがアテネとスパルタ。

● 大ギリシア(マグナ・グレキア)
 ポリスの人口が増加し、土地が不足したためギリシア人は黒海沿岸やイタリア、シチリアに進出して植民市を建設した。代表的な植民市にフランスのマルセイユやトルコのイスタンブール(Byzantion)、シチリアのシラクサやメッシーナがある。

 海外貿易が盛んになり、リディア王国から伝わった貨幣により経済が進展すると、平民の中に豊かな者達があらわれる。平民達は重装歩兵となって戦争に出陣した。平民が力をつけ、徐々に政治に参加するようになった。

 BC6世紀にアテネでは、ソロンが持っている財産によって市民の権利を定めた(ソロンの改革)。また、クレイステネスが陶片追放の制度を設け、民主主義の道を開いた。

 陶片追放とは、 陶器の破片に悪い指導者の名前を書いて投票し、それが6000票以上になると、10年間国外に追放する制度。
 ⇒ 世界史年表

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