Subject   : メソポタミア文明

カテゴリー  : 歴史  


 メソポタミア文明
 メソポタミア文明は、ティグリス川とユーフラテス川流域のメソポタミアに生まれた世界最古の文明で、大河を利用した灌漑農業を行っていた。BC3500年頃から人口が急激に増え、楔形文字が使われ、青銅器が普及した。BC3000年頃からシュメール人(Sumerian)の都市国家が形成された。ウルやウルク(Uruk)などが代表的な都市である。

 都市国家では、王を中心とした神権政治が行われ、人民や奴隷を支配する階級社会ができた。王のもとには莫大な富が集まり、大規模な治水や灌漑、あるいは壮大な神殿や宮殿が作られた。ギルガメシュ叙事詩に登場するギルガメシュ(Gilgamesh)は、BC2600年頃のシュメール人の王である。

● 古バビロニア王国 (Babylon)
 シュメール人の都市国家は絶え間ない戦争のため衰え、BC2350年、アッカド人のサルゴン1世(Sargon)が都市国家を征服し、シリアからエラム(イラン南西部)に至るアッカド帝国(Akkad)を建国した。

 BC2230年頃、シュメール人が勢力を回復してアッカド帝国を滅ぼし、ウル第三王朝が作られた。しかしこの王朝も長続きせず、BC1900年頃、アムル人がバビロンに古バビロニア王国を建国した。

 この王朝はBC1700年頃、第6代のハンムラビ(Hammurabi)の時に最盛期を迎える。ハムラビ王は、BC1750年に「目には目を、歯には歯を」で有名なハムラビ法典を発布する。 ハムラビ王は、旧約聖書にアムラベルの名で登場する

● ヒッタイト王国 (Hittites)
 BC17世紀半ば頃、鉄製の武器を使ったヒッタイトは、小アジアに強力な帝国を建設し、古バビロニア王国を滅ぼした。BC1285年頃、ヒッタイト王ムワタリは、シリアに進出してきたラムセス2世率いるエジプト軍と戦った(カデシュの戦い)。この戦いは、初めて公式な軍事記録に残され、成文化された平和条約が取り交わされた戦いである。この戦いでエジプトのシリア進出は阻止された。

 また、カッシート人は南メソポタミアにバビロン第3王朝(カッシート王国)を建設し、北メソポタミアにはフルリ人(旧約聖書でホリ人と呼ばれる)がミタンニ王国を作った。

 ヒッタイトはBC1190年ころ、謎の民族である海の民によって滅ぼされた。メソポタミアを支配してきたエジプトやヒッタイトが衰退すると、アラム人、フェニキア人、ヘブライ人が活躍した。

メモ
アラム人 BC1200年からダマスカスを中心に活躍し、アラム語は国際語として使われた。 アラム文字は、ヘブライ文字、アラビア文字、シリア文字、突厥文字、モンゴル文字などに派生していった。
フェニキア人 シドンやティルスなどの都市国家を作って地中海貿易を独占し、カルタゴなど 多くの植民都市を建設した。また、アルファベットの起源を作り、ギリシア人に伝えた。
ヘブライ人 遊牧民であったがBC1500年頃パレスティナに定住し、一部はエジプトに移住した。 エジプトのヘブライ人は、BC13世紀にモーゼに率いられてエジプトを脱出し、 パレスティナにイスラエル王国を建国した。 ダヴィデとその子ソロモンの頃に栄えた。

 ⇒ 世界史年表

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